就職して間もない頃、ある日突然、上司から告げられた。
「君、ブラジルに行ってもらうことになったよ。」
……ブラジル?
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
当時の僕は、飛行機すら乗ったことがなかった。海外なんて、テレビの中の話。
それなのに、地球の裏側へ出張だという。
若かった僕は、不安よりも「何が起きるんだろう」という好奇心に突き動かされていた。
成田空港へ向かうスカイライナーの車窓から、どこか現実感のない景色を眺めていた。
まるで、自分が映画の主人公になったような気分だった。
ヴァリグ・ブラジル航空のチェックインカウンター。
見知らぬ言葉が飛び交う空港の喧騒。
手にしたパスポートの重みが、これから始まる長い旅の予感を伝えていた。
初めてのフライト。
約24時間の空の旅。
機内の窓の外に広がる雲の海と、時差に翻弄される機内食のタイミング。
夜なのか昼なのか分からない時間が続き、まるで地球のリズムを外れたような不思議な感覚だった。
“世界は広い”という言葉が、実感として胸の奥に落ちていった。
「初めての空、初めてのブラジル」──僕の旅が始まった日
そして──夜明けのリオ・デ・ジャネイロ。
長い旅路の果てに降り立った空港の空気は、湿っていて、甘い匂いがした。
遠くに聞こえるサンバのリズム、陽気な笑い声、眩しい太陽。
僕の新しい世界が、そこにあった。
コパカバーナの白い砂浜で

ホテルの目の前に広がるのは、世界的に有名なコパカバーナ・ビーチ。
長時間のフライトで体はぐったりだったが、眠ってしまえば昼夜が逆転してしまう。
そこで思い切って、海へ飛び出した。
ビーチには、驚くほど自由な光景が広がっていた。
小さな女の子からおばあちゃんまで、みんなビキニ。
男性たちは裸足でビーチサッカーに興じ、砂煙の中をボールが舞う。
2対2で繰り広げられるそのゲームは、まるでアクロバット。
ボールが地面に落ちることがほとんどない。
1991年──日本にはまだJリーグもなかった頃、
その技術と情熱に、ただただ圧倒された。
気がつけば、僕は夢中でその光景を眺めていた。
……そして、夢中になりすぎて、全身が真っ赤に日焼けしてしまったのだ。
南半球の太陽は、想像をはるかに超えて強烈だった。
火傷のような痛みにうなされながら、その夜を過ごしたのを覚えている。
不思議なことに、痛みの奥には「生きてる」実感があった。
すべてが新しく、眩しかった。
コルコバードの丘

とある休日、リオの象徴ともいえるコルコバードの丘へ向かった。
登山電車に揺られて丘を登ると、遠くからでも見えた巨大なキリスト像が、次第に近づいてくる。
両腕を広げて街を抱くように立つその姿は、写真では伝わらない迫力があった。
像の高さ30メートル、台座を含めると38メートル。
だが、その数字以上に感じたのは“包まれるような安心感”だった。
眼下には、リオ・デ・ジャネイロの美しい海岸線、山々、そして広がる街。
世界の果てに来たような孤独と、言葉にならない感動が同時に胸を満たした。
丘の頂上には展望台があり、リオデジャネイロの街を一望できる。美しい海岸線や巨大な岩石がそびえたつ山々など美しい景観が広がっており、リオデジャネイロの観光名所の一つである。また、頂上には、1931年に建てられた台座の高さが8メートル、像の高さ30メートルの両腕を広げた形の巨大なコルコバードのキリスト像が立っており、このキリスト像はリオデジャネイロのシンボルとしても名高い。夜間には照明が当てられる。台座内には小さい祭壇が設けられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/
キリスト像まで行くには、丘の麓から登山電車に乗って行く。旅行会社によっては登山電車の予約もできるようなので、予約をお勧めする。リオ・デ・ジャネイロは海とコルコバード、ポン・ヂ・アスーカル(ポルトガル語:Pao de Acucar)ぜひとも観光していただきたい場所である
ブラジルは遠いのか、近いのか!?

ブラジルは地球の裏側。
日本との時差は12時間。
成田を夜に発って24時間後、ブラジルに着いた時には──時計の上では、たった半日しか進んでいなかった。
理屈では分かっていたけれど、実際に体で感じると、不思議な感覚に包まれる。
太陽は逆の方向に昇り、季節も逆、時間の流れさえどこか柔らかい。
“時間は不変だ”と思い込んでいた自分の常識が、音もなく崩れていった。
あのとき初めて、僕は「時間」という枠の外に出た気がした。
時計の針が進んでも、心のリズムはそれに従う必要はない。
ブラジルの人々が見せる、のんびりとした笑顔や陽気なテンポは、
まるで“時間から自由になった生き方”そのものだった。
でも、地球の裏側で初めて感じたのは、
“時間に縛られない豊かさ”だった。
夕陽が沈むのをただ眺め、波音に身を任せる。
その瞬間に、「生きることのリズム」は自分で選べるんだと、
心の底から思った。
もしかしたら、僕が今このブログで「ゆったりとした時間」を大切にしているのは、
あの日、ブラジルで“時間から解き放たれた”感覚を味わったからかもしれない。
あの日から、僕の旅は続いている
インターネットもデジカメもなかった時代。
写真よりも、記憶がすべてだった。
そんな断片的な記憶を少しずつ掘り起こしていくうちに、
「そうだ、旅を記録に残そう」と思い立った。
ブログは、僕にとって“もう一度旅をする場所”だ。
あの日の空気、光、匂い──それらを言葉で蘇らせながら、
また新しい旅が始まる。
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